当ブログは、アフィリエイトプログラムによる商品紹介を行っています。

【名馬列伝】ヤマニンゼファー~風になったマイラー~

プロフィール

馬名:ヤマニンゼファー
生年月日:1988年5月27日
馬主:土井宏二→土井肇
生産者:錦岡牧場
調教師:栗田博憲

血統

父:ニホンピロウイナー(マイルチャンピオンシップ2勝、安田記念)
母:ヤマニンポリシー
母父:ブラッシンググルーム(海外G1級5勝)

競争成績

競争成績

1991.03.09 新馬戦 1着 中山 ダート 1200m 横田(53)
1991.03.30 500万下 1着 中山 ダート 1200m 横田(53)
1991.04.13 クリスタルC(G3) 3着 中山 芝 1200m 横山典(55)
1991.10.26 900万下 7着 東京 ダート 1200m 横山典(55)
1991.12.01 900万下 1着 中山 ダート 1200m 蛯沢(55)
1991.12.15 スプリンターズS(G1) 7着 中山 芝 1200m 蛯沢(55)
1992.01.06 サンライズS 2着 中山 ダート 1200m 蛯沢(56)
1992.02.02 羅生門S 1着 京都 ダート 1200m 田原(56)
1992.04.25 京王杯スプリングC(G2) 3着 東京 芝 1400m 田中勝(56)
1992.05.17 安田記念(G1) 1着 東京 芝 1600m 田中勝(57)
1992.09.13 セントウルS(G2) 2着 阪神 芝 1200m 田中勝(58)
1992.11.22 マイルCS(G1) 5着 京都 芝 1600m 田中勝(57)
1992.12.20 スプリンターズS(G1) 2着 中山 芝 1200m 田中勝(57)
1993.02.28 読売マイラーズC(G2) 2着 阪神 芝 1600m 田原(58)
1993.03.14 中山記念(G2) 4着 中山 芝 1800m 田原(58)
1993.04.24 京王杯スプリングC(G2) 1着 東京 芝 1400m 柴田善(57)
1993.05.16 安田記念(G1) 1着 東京 芝 1600m 柴田善(57)
1993.10.10 毎日王冠(G2) 6着 東京 芝 1800m 柴田善(59)
1993.10.31 天皇賞・秋(G1) 1着 東京 芝 2000m 柴田善(58)
1993.12.19 スプリンターズS(G1) 2着 中山 芝 1200m 柴田善(57)

通算成績:20戦8勝[8-5-2-5]
獲得賞金:5億8080万円
主な勝鞍:安田記念2勝、天皇賞・秋

ストーリー

3歳(1990年)

ヤマニンゼファーは1988年5月27日、北海道錦岡牧場で誕生した。

父は、3度の最優秀短距離馬に輝いたニホンピロウイナーである。そのため、ヤマニンゼファーも短距離でのレースが期待されていた。しかし、デビューまでの道のりはそう簡単に進まなかった。

当初では3歳デビュー戦に出走する予定だった。デビュー戦へ向け1990年8月に入厩したが、直後に骨膜炎を発症してしまい、放牧することとなった。12月に再度入厩するも調整がうまくいかず、3歳でのデビューは見送ることとなった。

4歳(1991年)

1991年3月9日(土)いよいよ迎えたデビュー戦。中山競馬場第7レース4歳新馬戦ダート1200mにて初出走。怪我への考慮もあり、ダートレースへの出走となった。16頭立ての12番人気と低評価ながらも結果はなんと1着。デビュー戦での初勝利を掴んだ。

初勝利を掴んだのも束の間、続く2戦目の舞台は同じく中山ダート1200mだった。前走の勝利もあり、2番人気と人気は高かった。前走は後方待機策からの競馬だったが、今走では先行策でのレース展開となったが、結果は1着となり、見事デビューから連勝を飾った。

4月13日(土)この2連勝を買われついに芝での初出走、そして重賞デビューを迎えることとなる。3戦目となる舞台は中山芝1200mクリスタルC(G3)。連勝で波に乗っているということもあり、初めての芝レースながら4番人気となった。重賞経験馬が勢揃いしたレースとなったが、中団後方から4コーナー手前でスピードを上げ、上がり3ハロン3番手となるタイムで3着となった。重賞初出走初勝利・デビューからの連勝とはならなかったが、芝での適性を見せつける結果となった。

しかし6月、出走予定だったレースの調整中、骨膜炎が再発し休養を取ることとなり、復帰後10月26日(土)東京ダート1200mに出走するも結果は7着と惨敗。

続く復帰2戦目、2戦2勝と相性の良い中山ダート1200mで通算3勝目となり復帰後初勝利となった。

12月15日(日)中山芝1200mスプリンターズSにてG1初出走となった。結果は中団からの競馬で直線伸びず7着と惨敗。レースは1番人気ケイエスミラクルが最後の直線で負傷による大失速という波乱もあったが、2番人気のこの年安田記念を制したダイイチルビーが直線抜け出す快勝となった。

5歳(1992年)

5歳初戦は3戦3勝と得意の中山ダート1200mサンライズSでの始動となったが、1番人気に応えられず2着と惜敗。しかし次戦京都ダート1200mへ舞台を移して羅生門Sを制し、オープンクラス昇格となった。

4月25日(土)舞台を東京へ移し、芝1400m京王杯スプリングC(G2)にてこの年初めての芝レース出走となった。距離適性の不安もあり8番人気となったが、結果は直線上がり3ハロン最速で脚を伸ばして3着と好走し、不安を一掃する結果となった。

5月17日(日)前走の結果を受け、2度目のG1挑戦で安田記念(G1)へ出走。しかし人気は大外枠18番・距離延長もあり11番人気と低評価。レースは好スタートから中団に控えると、ハイペースの展開となり4コーナー直後から先頭に抜け出す。追い込み勢が猛然と追う中、最後まで粘り切り1着となり、重賞初制覇を見事G1で飾ることとなった。また、鞍上の田中勝春騎手にとってもG1初制覇となった。

その後約4か月の休養を挟み、秋のマイル王決定戦に向けセントウルS(G3)での再始動を向かえた。休み明けもあり2着となったが、良い調整レースだと思われた。

11月22日(日)春・秋のマイル制覇へいよいよマイルCS(G1)へ出走。安田記念の勝利から評価を集め3番人気となったが、レースは4コーナー手前から抜け出した2番人気ダイタクヘリオスのレコードタイムによる連覇達成の前に5着と敗れた。

12月20日(日)昨年に引き続きスプリンターズS(G1)に出走。人気馬4頭に絞られ、4番人気となった。内枠から先行4,5番手での展開でレースを進め、4コーナー内ラチ沿いから先頭へ出ると、G1レース2勝目の道が拓けたかに思えたが、後方から追い上げて来た2番人気ニシノフラワーに残り10m付近でかわされ、2着と惜しくも逃してしまう。

6歳(1993年)

2か月ぶりに出走したレースは、1993年2月28日(日)読売マイラーズC(G2)を選択した。重賞2勝目を狙ったレースだったが、またしてもニシノフラワーによって阻まれる。

2週後には初の芝1800m中山記念(G2)への発走となった。2番手でのレースとなったが、初めての中距離というのもあり、伸びきれず4着。

4月24日(土)安田記念連覇へ向け、昨年同様に前哨戦である京王杯スプリングC(G2)へ出走。結果は単勝オッズ1.5倍の圧倒的人気となったシンコウラブリイをスタートから終始マークし、残り2ハロン付近からの叩き合いを制し、重賞2勝目となった。

5月16日(日)いよいよ連覇のかかったレース安田記念(G1)へ出走。連覇を期待され人気も高く、2番人気となった。レースは好スタートを切り、2番手へ進み直線勝負に入ると、ヤマニンゼファーは風になった。直線先頭に立つとそのまま風のように押し切って快勝。見事安田記念連覇となると同時に、ニシノフラワーへのリベンジ、鞍上柴田善臣騎手のG1初勝利となった。

夏場の休養を経ての休養明け初戦は、10月10日(日)毎日王冠(G2)へ出走。3走前の中山記念以来の芝1800mでのレースとなった。先行4番手での追走となりそのまま直線に入るも、伸びきれず失速し6着と惨敗した。

10月31日(日)天皇賞・秋(G1)、まさかの中距離G1挑戦は誰にも予想出来なかったであろう。距離を延ばしたことによる、距離適正が不安視されていたため5番人気と人気を落とした。レースは3番人気ツインターボがいつも通り単騎逃げの展開になると、3番手でレースを進める。4コーナー手前から早めに仕掛けると、直線に入りセキテイリュウオーを引き連れ抜け出す。残り3ハロンは2頭の追い比べとなる大接戦を繰り広げる。一度はかわされるも盛り返して馬体を接してのゴール。写真判定の結果、ハナ差で見事1着。中距離の不安を一掃し、G1レース3勝目を飾った。

12月19日(日)3度目の挑戦となったスプリンターズS(G1)、昨年の勝ち馬ニシノフラワーを差し置いて1番人気となった。レースは4,5番手からの競馬となり、4コーナー手前から徐々にペースを上げていく。直線2番手となると一気にスパートをかけるが、先頭に立った2番人気サクラバクシンオーの勢いが止まらずそのまま押し切られる。2年連続での2着と悔しい結果となった。そして、このレースが引退レースとなった。この年の年度表彰では、最優秀5歳以上牡馬、最優秀短距離馬、最優秀父内国産馬の3つのタイトルを獲得した。

種牡馬(1994年~2009年)

1994年より種付けを開始。1997年に初年度産駒がデビューし、新種牡馬産駒としては3番目の成績となった。

2000年サンフォードシチーが武蔵野S(G3)を勝ち、産駒として重賞初勝利。その後、ジャパンCダート(G1)でも2着と好成績を収める。2002年にもヒゼンホクショーが東京オータムJ(G3)で勝利し、重賞2勝目となった。

その後は低迷し、種付けも減少すると2009年を最後に種牡馬を引退。余生を故郷である錦岡牧場にて過ごすこととなった。2017年5月16日老衰のため、29年の長い人生に幕を閉じた。

コメント

タイトルとURLをコピーしました