プロフィール
馬名:バンブーメモリー
生年月日:1985年5月14日
馬主:竹田辰一
生産者:バンブー牧場
調教師:武邦彦
血統
父:モーニングフローリック
母:マドンナバンブー
母父:モバリッズ
競走成績
通算成績:39戦8勝[8-7-5-19]
獲得賞金:5億716万円
主な勝鞍:安田記念、スプリンターズS
ストーリー
3歳(1987年)
バンブーメモリーは1985年5月14日に誕生した。
11月14日、京都ダート1200mにてデビュー戦を迎える。レースは逃げる展開になるが、一杯となり5着と敗れてしまう。その後は中2週で京都ダート1400m新馬戦へ出走するが、惜しくも2着と惜敗してしまう。しかし1ヶ月後阪神ダート1200mに舞台を変え、見事な逃走劇で初勝利を飾り3歳の一年を終える。
4歳(1988年)
4歳初戦は京都ダート1400m400万下の条件戦へ出走するが、惜しくも2着と敗れてしまう。さらに連闘で京都ダート1200m白梅賞で3着と敗れ、3週後の同舞台での条件戦でもクビ差で惜しくも2着に敗れてしまう。1ヶ月後に初勝利時と同様に阪神ダート1200mに舞台を変え、先行策から見事2勝目を飾る。そして8ヶ月の長い休養を経て、京都ダート1400m天王山特別に出走するが、後方からとなってしまい末脚をしっかり使うも3着と敗れてしまう。しかし3週後、同舞台の桃山特別では好位から末脚を使い見事3勝目で順調に昇級していく。その後は阪神ダート1200mポートアイランドSで5着と敗れ、さらに阪神ダート1800mへ距離延長しサンタクロースHへ出走するが、距離延長の影響からか14着と惨敗してしまう。
5歳(1989年)
5歳初戦は京都ダート1400m門松Sで7着、さらに同舞台での羅生門Sで4着と敗れ昇級後は勝ちから見放されてしまう。距離を延長しダート1800m戦へ2度出走するが、どちらも勝ちには程遠い結果となってしまう。そして舞台は芝へと変わり阪神芝1600m道頓堀Sへ出走し、早い仕掛けから2着に0.9秒差をつける圧勝劇で4勝目を挙げ、ようやくオープンクラス入りを果たした。続く京都芝1600mシルクロードSでは好位からの競馬で惜しくも3着と敗れてしまう。
5月14日、G1初挑戦は連闘で東京芝1600m安田記念(G1)へ出走。人気は当時G1を制したのが3番人気サクラチヨノオーのみであったが、オープンクラス未勝利だったため10番人気と低評価であった。レースは後方3番手でじっくり溜めて中団馬群を見ながら追走していく。4コーナー辺りまで先行馬群がごった返す中、最後の直線で馬群が一気に横に広がり、後ろから馬群を割って一気に追い出す。残り2ハロンから末脚が一気に爆発し、最後は先頭を走っていたダイゴウシュールを捉え1馬身以上離す快勝劇で見事G1初挑戦で初制覇となった。その勢いに乗り、阪神芝2200m宝塚記念(G1)へ出走するが、勝ったイナリワンから1.4秒差の5着と惨敗してしまう。その後中京芝2000m高松宮杯(G2)では2馬身差の2着と敗れ、夏の休養を経て京都芝1400mスワンS(G2)で好位から見事な差し切り勝ちで重賞2勝目となった。
11月19日、春秋マイルG1制覇へ京都芝1600mマイルCS(G1)へ出走。人気はG1馬オグリキャップが圧倒的人気に次ぐ2番人気となった。レースは好位内ラチ沿いをじっくり溜めながら走っていくと、3コーナー過ぎから少しずつ前へと進出を始める。4コーナーでスムーズに外へ出し一気に先頭を捉えると、最後の直線で早々先頭に立ち後方を突き放していく。しかし内からオグリキャップが一気に追い込んでくると、最後は叩き合いで馬体を合わせて入線した。写真判定の結果ハナ差で2着と惜敗し、春秋マイルG1制覇とはならなかった。その後はまさかの連闘で東京芝2400mジャパンC(G1)へ出走するが、勝ったホーリックスから2秒差の13着と最下位になってしまう。しかし、この年の一連の活躍により最優秀スプリンターに選出される。
6歳(1990年)
6歳初戦を京都芝2000m金杯(G3)へ出走予定であったが、直前の体調不良で出走取り消しとなった。3ヶ月後の東京芝1400m京王杯スプリングC(G2)へ出走するが、着差ありの5着と敗れてしまう。さらに連覇をかけ安田記念(G1)へ出走するが、昨年秋にも阻まれたオグリキャップが再び立ちはだかり6着と敗れてしまう。その後は2年連続で宝塚記念(G1)では勝ったオサイチジョージに1.5秒差の6着と敗れ、3走連続で1秒以上離される大敗となってしまう。しかし、距離を短縮し中京芝1200mCBC賞(G2)では2着と好走し、さらには高松宮杯(G2)では昨年勝ち切れなかったリベンジを果たし1着で見事重賞3勝目を飾った。
夏の休養後に東京芝1800m毎日王冠(G2)へ出走し、好位から追い込みを図るが5着と敗れてしまうが、東京芝2000m天皇賞・秋(G1)では後方からの追い込みで勝ちを逃してしまうが勝ったヤエノムテキに1.5馬身差の3着と好走すると、昨年のリベンジへ向けマイルCS(G1)へ出走するが、後方からパッシングショットの鋭い追い込みに遭いまたも2着で逃してしまう。
12月16日、距離を短縮し中山芝1200mスプリンターズS(G1)へ出走。人気が割れる中1番人気と推される。レースは2番人気のパッシングショットが出遅れる中、好位内ラチ沿いを追走していく。レースは後半一気にペースは流れハイペースとなり、最後の直線で一気に仕掛けると、先行して粘るナシスノワール・ダイタクヘリオスらを中団馬群の真ん中から抜け出す。鋭い末脚で最後は1馬身離す差し切り勝ちとなり、当時のレコードタイムでG1 2勝目を飾ると共に2年連続最優秀スプリンターに選出された。
7歳(1991年)
4ヶ月の休養を経て7歳初戦に京王杯スプリングC(G2)を選択。結果は後方一気で追い込むが4着と休み明けながらまずまずの成績を収めた。さらに3年連続安田記念(G1)へ出走するが、前走同様鋭い末脚を見せるもこちらも前走同様負けたダイイチルビーに惜しくも末脚勝負に敗れ3着となってしまう。その後は宝塚記念(G1)でメジロライアンに2.1秒差の10着と大敗し、CBC賞(G2)で9着・毎日王冠(G2)で6着・スワンS(G2)で8着と敗れ勝ち星に届かなくなっていた。そしてマイルCS(G1)へ出走するが、勝ち馬ダイタクヘリオスに0.9秒差の8着と惨敗し、競走馬としての最後のレースを終える。
種牡馬(1992年~2014年)
引退後は早速種牡馬となり、1996年に1993年生産のサブリナエルモーサが産駒初勝利したが、中央通算13勝と種牡馬としては活躍出来ず2005年に種牡馬を引退する。引退後は故郷バンブー牧場で余生を過ごしていたが、2014年8月7日老衰のため29年の長い人生に幕を閉じた。
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