プロフィール
馬名:スーパークリーク
生年月日:1985年5月27日
馬主:木倉誠
生産者:柏台牧場
調教師:伊藤修司
血統
父:ノーアテンション
母:ナイスデイ
母父:インターメゾ(セントレジャーS)
競走成績
通算成績:16戦8勝[8-2-2-4]
獲得賞金:5億5610万円
主な勝鞍:菊花賞、天皇賞・秋、天皇賞・春
ストーリー
3歳(1987年)
スーパークリークは1985年5月27日、柏台牧場で誕生した。
12月5日、阪神芝2000mの新馬戦でデビューを果たす。先行策でレースを進め、最後の直線でもしっかり追うが惜しくも2着と敗れてしまう。しかし、3週後に同じ条件の新馬戦へ出走し、今度は後方からの競馬となったが圧倒的な末脚を使い見事初勝利を飾った。
4歳(1988年)
初勝利から約1週を空けて京都芝2000m福寿草特別へ出走するが、4着と敗れてしまう。1ヶ月空け京都芝2000mきさらぎ賞(G3)で重賞初出走となる。レースは中団から進め、最後の直線で前を追うも捉えることが出来ず3着と敗れてしまう。その後は京都芝2200mすみれ賞で中団後方から見事な末脚で差し切り2勝目となった。今レースで初騎乗となった当時2年目の武豊騎手が今後は全てのレースで乗ることとなる。その後は東京優駿(ダービー)へ向け前哨戦の調教を行っていたが、左前脚を骨折し長期休養に入ることとなってしまう。半年間の長期休養後に阪神芝2000m神戸新聞杯(G2)へ出走すると、中団から追い込み重賞初制覇こそならなかったものの3着と見せ場を作った。しかし、京都芝2200m京都新聞杯(G2)では、最後の直線で隣を走る馬の騎手のステッキが顔に当たるなどの不利が重なり6着と敗れてしまう。
11月6日、出走資格の関係でギリギリ出れないと思われた京都芝3000m菊花賞(G1)でG1初出走となる。人気は前々走神戸新聞杯での好走もあり3番人気と推された。レースは中団から進めると、3コーナー過ぎでゆっくりと進出を開始していく。そして4コーナーから空いた内を突いて先頭を捉えると、後続を一気に突き放し5馬身差の快勝劇で重賞初制覇がG1初出走でのG1初制覇となった。さらに鞍上武豊騎手にとってもG1初制覇となった。その後は中山芝2500m有馬記念(G1)へ出走する。レースは中団外目を追走し3コーナー過ぎで動き始めると、最後の直線で馬群から抜け出し追い込みを図るが、勝ち馬オグリキャップとタマモクロスに及ばず3着で入線する。しかし、残り1ハロンでの進路妨害があり失格処分となってしまう。
5歳(1989年)
昨年の疲れで筋肉痛が中々抜けず春から夏にかけて長期休養に入ることとなった。そして10月京都芝2400m京都大賞典(G2)へ出走し、先行策から圧倒的人気に応え重賞2勝目を当時のコースレコードで飾った。
10月29日、東京芝2000m天皇賞・秋(G1)へ出走。人気は昨年2着のオグリキャップが1.9倍と圧倒的人気になり、それに次ぐ2番人気となった。レースは外枠から先行3番手につけると、3コーナーから4コーナーにかけて一気に展開が早くなる。そして最後の直線抜け出しにかかり内からメジロアルダン・ヤエノムテキにかわされるが、ここから溜めていた末脚を一気に出し先頭へ立つ。内のメジロアルダンの粘りと外からオグリキャップが一気の末脚で追ってくるが、何とか粘りクビ差で見事G1 2勝目を飾った。その後は東京芝2400mジャパンCへ出走するが、当時の世界レコードを記録したニュージーランドのホーリックスに4着で敗れてしまう。
12月24日、昨年のリベンジで有馬記念(G1)へ出走。人気は昨年王者のオグリキャップが圧倒的人気でそれに次ぐ2番人気となった。レースは近走同様先行策でレースを進めていくと、3コーナーからスパートをかけ前を追っていくが中々捉えられない。しかし4コーナーで前を走るオグリキャップを捉えると、最後の直線で先頭に立つ。後方から馬群を割ってイナリワンが追い込んでくるが、粘りを図り先頭を譲らない。しかし、ゴール寸前でかわされハナ差の2着に敗れイナリワンに同年春秋グランプリ制覇を許してしまう。
6歳(1990年)
4月29日、6歳初戦に阪神芝2000m大阪杯(G2)へ出走し、先行策から見事勝利し重賞4勝目を飾った4週後に京都芝3200m天皇賞・春(G1)へ出走する。人気は1.5倍と圧倒的1番人気と推された。レースはスタート直後前に出せず後方からとなるが、1周目の正面スタンド前で外から進出を開始し3番手で追走する。3コーナー過ぎから少しづつ動き始めると、4コーナー手前でスパートをかけていく。最後の直線で先頭に立つと、外からイナリワンが末脚を使い追ってくる。しかし、何とか粘り半馬身差でG1 3勝目と同時に史上初の天皇賞秋春連覇となった。
その後は筋肉痛の影響もあり、夏は休養に入ることとなった。休養後は京都大賞典(G2)で見事連覇を飾り天皇賞・秋(G1)へと向かっていくが、左前脚の繋靭帯炎を発症してしまい出走を回避する。そして復帰へと目指していたが、その夢は叶わず引退することとなった。
種牡馬(1991~2010年)
引退後は日高スタリオンステーションで種牡馬となった。種牡馬としても期待されていたが、ハダシノメガミが優駿牝馬(オークス)に出走するのがやっとで2勝するのが精一杯であった。その後も中々活躍が見れずに、2006年を最後に種牡馬を引退することとなった。その後は2006年にオギブルービーナスの仔ブルーショットガンが阪急杯を制し、産駒では叶わなかった重賞制覇を母父として叶うこととなった。そして2010年8月29日老衰のため25年の人生に幕を閉じた。
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