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【名馬列伝】ツルマルボーイ~ダンスインザダーク産駒初年度唯一のG1制覇馬~

プロフィール

馬名:ツルマルボーイ
生年月日:1998年3月5日
馬主:鶴田任男
生産者:浜本牧場
調教師:橋口弘次郎

血統

父:ダンスインザダーク(菊花賞)
母:ツルマルガール
母父:サッカーボーイ(阪神3歳S、マイルCS)

競走成績

競走成績
  • 2000.07.15 3歳新馬 1着 小倉 芝 1200m 高橋(53)
  • 2000.09.03 小倉3歳S(G3) 10着 小倉 芝 1200m 高橋(53)
  • 2000.10.14 デイリー3歳S(G2) 5着 京都 芝 1600m 松永(53)
  • 2000.11.12 京都3歳S 4着 京都 芝 1800m 松永(54)
  • 2000.12.17 中京3歳S 5着 中京 芝 1800m 高橋(54)
  • 2001.01.08 シンザン記念(G3) 6着 京都 芝1600m 高橋(55)
  • 2001.04.15 君子蘭賞 7着 阪神 芝 1600m 高橋(55)
  • 2001.05.13 矢車賞 1着 京都 芝 1800m 河内(55)
  • 2001.11.24 1000万下 2着 京都 芝 1400m 河内(55)
  • 2001.12.16 1000万下 9着 阪神 芝 1600m 河内(55)
  • 2001.12.23 クリスマスキャロルH 3着 阪神 芝 2200m 松永(53)
  • 2002.01.12 1000万下 1着 京都 芝 1800m 河内(56)
  • 2002.02.10 飛鳥S 3着 京都 芝 2000m 河内(56)
  • 2002.03.03 中京記念(G3) 1着 中京 芝 2000m 河内(53)
  • 2002.03.31 大阪杯(G2) 5着 阪神 芝 2000m 河内(57)
  • 2002.04.21 メトロポリタンS 1着 東京 芝 2300m 横山典(55)
  • 2002.05.25 金鯱賞(G2) 1着 中京 芝 2000m 横山典(57)
  • 2002.06.23 宝塚記念(G1) 2着 阪神 芝 2200m 河内(58)
  • 2002.10.06 京都大賞典(G2) 2着 京都 芝 2400m 河内(58)
  • 2002.10.27 天皇賞・秋(G1) 11着 中山 芝 2000m 河内(58)
  • 2003.04.06 大阪杯(G2) 3着 阪神 芝 2000m 武豊(58)
  • 2003.05.04 天皇賞・春(G1) 4着 京都 芝 3200m 横山典(58)
  • 2003.05.31 金鯱賞(G2) 2着 中京 芝 2000m 横山典(58)
  • 2003.06.29 宝塚記念(G1) 2着 阪神 芝 2200m 横山典(58)
  • 2003.11.02 天皇賞・秋(G1) 2着 東京 芝 2000m 横山典(58)
  • 2003.11.30 ジャパンC(G1) 15着 東京 芝 2400m 横山典(57)
  • 2003.12.28 有馬記念(G1) 4着 中山 芝 2500m 横山典(57)
  • 2004.04.04 大阪杯(G2) 6着 阪神 芝 2000m 横山典(57)
  • 2004.06.06 安田記念(G1) 1着 東京 芝 1600m 安藤(58)
  • 2004.06.27 宝塚記念(G1) 6着 阪神 芝 2200m 安藤(58)
  • 2004.10.31 天皇賞・秋(G1) 4着 東京 芝 2000m 蛯名(58)
  • 2004.12.26 有馬記念(G1) 8着 中山 芝 2500m 蛯名(58)

通算成績:32戦7勝[7-6-3-16]
獲得賞金:5億8,292万円
主な勝鞍:安田記念

ストーリー

3歳(2000年)

ツルマルボーイは1998年3月5日に誕生した。父であるダンスインザダークの産駒初年度であり、怪我を理由にまだ若いうちに引退したため種牡馬としての注目はかなりされていた。

7月15日、小倉芝1200mでデビュー戦を迎えた。レースは3番人気ながら先行策からの競馬で上がり3ハロン最速のタイムで見事デビュー戦での初勝利となった。次に小倉芝1200m小倉3歳S(G3)へ出走するが10着と惨敗。その後も京都芝1600mデイリー3歳S(G2)などの3歳重賞やオープンクラスへ果敢に挑戦するが、中々期待に応えられないレースが続く。

4歳(2001年)

4歳初戦は京都芝1600mシンザン記念(G3)で重賞初勝利を狙う。しかし、3番人気に推されながらも期待に応えられず6着となる。この結果を受け500万下クラスへ進路を変え確実に勝ちを狙うこととした。3ヶ月後に臨んだレースを挟み、迎えた京都芝1800m矢車賞で圧倒的な末脚を見せつけようやく2勝目を飾る。このまま勢いに乗りたいところだったが、夏の休養を明けてからは1000万下クラスと1600万下クラスのレースへ出走するが、勝ちには惜しくも届かない結果となった。

5歳(2002年)

3月3日、京都芝1800m1000万下クラスで3勝目をあっさり勝ち取ると、1ヶ月後の京都芝2000m飛鳥Sでも3着と好走した後、格上挑戦となったが中京芝2000m中京記念(G3)へ出走する。重賞を制した馬がほとんどいないこともあり、3番人気と推された。レースは後方からの競馬でレースを進めると、最後の直線で末脚が爆発し一気に突き抜け5馬身離す圧勝劇となり、重賞初制覇となった。続く阪神芝2000m大阪杯(G2)では、重賞馬が揃う中で差を見せつけられ5着と敗れてしまう。しかし、次の東京芝2300mメトロポリタンSではG1馬が揃う中得意の末脚を見せ見事快勝しG1制覇も少しづつ見えてきていた。

5月25日、連勝を狙い中京芝2000m金鯱賞(G2)へ出走する。人気は前年の皐月賞・菊花賞を制したエアシャカールに次いでの2番人気となった。レースはエアシャカールの後ろをぴったりマークしながら走る展開になる。3コーナーからエアシャカールが早めの仕掛けを見せるがそれに動じずゆっくりと上がっていき最後の直線へ。先に抜け出したエアシャカールを最速の末脚で捉え1馬身以上差をつける快勝となり、重賞2勝目となりG1初制覇へ向けて弾みをつけた。

6月23日、いよいよG1初制覇へ向けて阪神芝2200m宝塚記念(G1)へ出走する。人気はG1レース2着3回と悲願のG1制覇を誓うダンツフレームや前走のリベンジを誓うエアシャカールなどに続き4番人気となった。レースはいつもの後方策でじっくり好機を待つと、人気どころは先行策でのレースを進める。3コーナーからエアシャカールが逃げるローエングリンを捉えにかかるがローエングリンが粘り激しい争いになる中でじっくりと上がっていき最後の直線勝負へ。逃げるローエングリンが粘る中、外からダンツフレームと共に上がって行き捉えると、内にいるダンツフレームを抜きかけるもG1制覇に見放され続けた意地を見せもうひと伸びされ惜しくも2着に敗れてしまう。その後は夏の休養を挟み、京都芝2400m京都大賞典(G2)でG1馬相手に2着と好走を演じるが、中2週後の東京芝2000m天皇賞・秋では全くレースが出来ず11着と惨敗に終わってしまう。この後蕁麻疹のため今年度は休養することとなった。

6歳(2003年)

2年連続で阪神芝2000m大阪杯(G2)へ出走するが惜しくも3着敗れ、1ヶ月後の京都芝3200m天皇賞・春(G1)ではペースを乱されながらも勝ったヒシミラクルに0.3秒差の4着と惜しくも敗れてしまう。その後2連覇をかけ中京芝2000m金鯱賞(G2)へ出走するが、惜しくも2着で敗れ連覇には届かなかった。

6月29日、昨年のリベンジで阪神芝2200m宝塚記念(G1)へ出走する。復帰後未勝利というのもあり、8番人気と人気を落とした。レースは後方策でじっくり待機するいつもの形でレースを進める。先行勢が3コーナーから一気に動き始める中、ゆっくりとついていき最後の直線へ。先に仕掛けた先行勢のシンボリクリスエスとタップダンスシチーが前に飛び出していく中、後方外からヒシミラクル・ネオユニヴァースと一緒に抜け出していくと先に抜け出したヒシミラクルを追い詰めるが、クビ差でまたしてもあと一歩の所でG1制覇を逃してしまう。

11月2日、夏の休養をしっかり取り東京芝2000m天皇賞・秋(G1)へ出走する。前走の結果を踏まえてG1馬には敵わなかったが5番人気となった。レースは2頭が大逃げする展開となり、最後方でじっくり溜めレースを進める。最後の直線までこの展開が続くと、中団からレースを進めたシンボリクリスエスが残り2ハロンで逃げ馬を一瞬で捉えると一気に突き抜ける。馬群外から得意の末脚を使い追い込んできたが、抜け出したシンボリクリスエスは近いようで遠く感じる2着と敗れてしまう。その後は東京芝2400mジャパンC(G1)で15着と惨敗し、年末には中山芝2500m有馬記念(G1)では勝ち馬シンボリクリスエスの圧勝劇で4着と敗れてしまう。G1制覇まで本当にあと一歩という所までは来ているが、中々勝ち切れない日々が続いた年であった。

7歳(2004年)

6月6日、この年も阪神芝2000m大阪杯での始動となったが6着と敗れ、距離短縮をして久々のマイル戦東京芝1600m安田記念(G1)へ出走する。久々のマイル戦ということもあり、人気は6番人気となった。レースは後方策からペースを整えていくと、縦長だった馬群が一気に詰まっていき最後の直線へ。逃げ馬を先行勢が捉え抜け出していき粘りを図る中、馬群の中から追い込んでいく。残り2ハロンで外からテレグノシスが追い込むが、その内から得意の末脚を爆発させ一気に前の馬を抜いていくと最後まで脚が止まらずようやくG1初制覇となった。その後は阪神芝2200m宝塚記念(G1)では6着、夏の休養を明けて東京芝2000m天皇賞・秋(G1)では惜しくも4着、年末の中山芝2500m有馬記念(G1)で8着となり、競走馬として引退することなる。

種牡馬(2005年~2008年)

引退翌年から繫養されダンスインザダーク産駒初の後継種牡馬となり期待がかかったが、2006年生産のシャアが5勝しオープン入りを果たすもオープンクラスでの勝利は出来ず、それ以外の生産馬は2007年生産ワンモアジョーが3勝をするまでで2008年で種牡馬を引退することとなり、ノーザンホースパークで乗馬となった。その後は埼玉県の駿ホースクラブで余生を過ごしている。

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