この競走馬が日本競馬会に与えた衝撃の大きさは凄まじい。
伝説の始まり
2002年3月25日、母ウインドインハーヘアから北海道の大地に生まれ落ちた。
父はアメリカG1を6勝の名馬サンデーサイレンスである。
そして、当歳馬(0歳馬)のセレクトセールにおいて7000万円で落札された。
7000万円と聞くと、高額だと思うかもしれないが、父サンデーサイレンスは種付け料が非常に高額であり、1回につき2500万円にも及ぶことから、1億円を超える金額で落札される当歳馬が多かった。
実際に、この日のサンデーサイレンス産駒では、14頭中9番目の価格であり、この時点でこの馬の伝説を感じられていたのは、購入者ぐらいかもしれない。
新馬戦
2004年12月19日の阪神競馬場第5レース2000m芝、ディープインパクトの記念すべき初陣である。
4枠4番のゲートに向かうディープインパクトの鞍上には、日本が世界に誇る史上最高騎手 武 豊が跨っている。
9頭立てで構成されたこのレースでディープインパクトは単勝1番人気であった。
いや、ただの1番人気ではない。
単勝オッズ1.1倍の断トツ1番人気だ。
デビュー戦でここまでの人気を博した馬は、今までにいたのだろうか。
緊張と期待に日本中が包まれる中、ファンファーレが鳴り響き、音を立ててゲートが開いた。
ディープインパクトはゆっくりとスタートを切ってそのまま馬なりに前進し、5.6番手につけて第1コーナーに入り、第2コーナーから向こう正面へ抜けていく。
ゆったりとしたペースのままレースは流れ、残り1200mのところで先頭からしんがりまで7馬身といったところである。
この時点で先頭は2番人気のコンゴウリキシオーだ。
第3コーナーに入るころには、やや隊列が縦長になり、ディープインパクトは少し位置を上げて4番手についていた。好位と言える位置だ。
そして、第4コーナーに差しかかるところからギアを1速上げたディープインパクトは、直線を向いた時には既にわずかに先頭に立っていた。
わずかなリードを保ったまま直線を行き、次の動きを見せたのは、ゴールまで150mほどのところであった。
姿勢を低くして1速上げて、見る見るうちに駆け抜けた結果、2着コンゴウリキシオーに4馬身をつけての圧勝だった。
タイムは2:03.8、上がり3ハロンは33.1であった。
タイムだけを見ると驚くほどでもないのだが、軽く走っているように見えるし、かなりの余力を残していると思われた。
何よりも、残り150mの末脚が物凄かった。
次はどんなレースをするのだろうか。
そして、あの末脚は武豊騎手によってどう活かされるのだろうか。
そんなワクワクを今でも思い出す。
余談となってしまうかもしれないが、この日の2着馬コンゴウリキシオーは、その後G1安田記念を2着、G2を2勝、G3を1勝しており、ディープインパクトと初戦で戦えたことが最大の経験値になっていたのかもしれない。(その後、皐月賞・ダービーでも対戦している。)
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