プロフィール
馬名:ダイタクヘリオス
生年月日:1987年4月10日
馬主:中村雅一
生産者:清水牧場
調教師:梅田康雄
血統
父:ビゼンニシキ(スプリングS、NHK杯)
母:ネヴァーイチバン
母父:ネヴァービート
競争成績
通算成績:35戦10勝[10-6-1-18]
獲得賞金:6億8,320万円
主な勝鞍:マイルCS2勝
ストーリー
3歳(1989年)
ダイタクヘリオスは1987年4月10日、北海道清水牧場で誕生した。
父はスプリングS(G2)・NHK杯(G2)を制したビゼンニシキ。ダイタクヘリオスは父と同様中距離クラシックを目標に進んでいくこととなるが…
10月7日(土)迎えたデビュー戦は、京都競馬場芝1400mとなった。人気はさほど高くなく4番人気で、レースは3番手で進めそのまま3着でのゴールとなった。2戦目は京都1200mダートへ替えるも、逃げれず2着と惜敗。翌週京都芝1600mへ出走すると、スタートから一度も先頭を譲らずにゴールイン。見事デビュー3戦目での初勝利となった。
11月11日(土)初勝利から2週後、重賞初挑戦は京都芝1400mデイリー杯3歳S(G2)となった。レースは勝った時と同様に逃げの手に出たが、直線であっさりと先行勢にかわされ4着と力負け。次走は阪神に舞台を移し、見事勝利を収めオープン入り。初めてのG1へと向かうことになる。
12月17日(日)初のG1舞台は、阪神芝1600m阪神3歳S(G1)。レースはスタート直後からハナを切る展開となる。先頭で3コーナーを回りスパートをかけると、2番手を4馬身ほど突き放して直線勝負へ。そのまま逃げ切ると思われたが、4コーナー直後から伸びてきたコガネタイフウが一気の差し脚で襲い掛かり、あと少しの所でかわされ2着と惜敗。G1初勝利は夢と散った。
4歳(1990年)
4歳初戦は、京都芝1600mシンザン記念(G3)。レースは3番手から追走し、惜しくも2着。重賞初勝利とはならなかった。その後、距離を延長して中京芝2000mきさらぎ賞(G3)・中山芝1800mスプリングS(G2)に出走するも、距離の長さが影響されて結果は惨敗。この結果を機に短距離路線へと進むこととなる。
4月14日(土)距離を短縮して中山芝1200mクリスタルC(G3)へ出走すると、レースは2番手から直線で抜け出すと快勝した。これが重賞初勝利となった。続く京都芝1400m葵Sでも番手からのレースで連勝となった。しかし次走は、東京へと舞台を移し東京芝1600mNZT4歳S(G2)へ出走し、1番人気と期待されながらも2着と敗れてしまう。
11月18日(日)2度目のG1舞台は、得意の京都芝1600mマイルCS(G1)。前年同レースの2着馬バンブーメモリーが圧倒的1番人気となった。レースは申し分ないスタートを切るも、ダッシュがまったくつかず後方を追走。直線も全く伸びを欠き、結果は17着と惨敗に終わった。勝ったのは、圧倒的人気バンブーメモリーが伸びてくるかに思えたが、大外からパッシングショットがそれ以上の伸びを見せて波乱を起こす結果となった。
12月16日(日)初の中京へ舞台を移して中京芝1200mシリウスSに出走し、4着と敗れてから2週後、主戦騎手である岸滋彦騎手へ乗り替わり、3度目のG1中山芝1200mスプリンターズS(G1)へ出走。レースは先行勝負に出たものの、前半のハイペースが影響され直線勝負で失速し、5着と完敗。勝ったのは後方真ん中より一気に抜け出したバンブーメモリーがマイルCSの雪辱を果たした。
5歳(1991年)
スプリンターズS(G1)から2ヶ月後、ダイタクヘリオスは始動した。淀短距離Sへ出走し4着となったが、3週後の12月24日(日)中京芝1700m読売マイラーズC(G2)では、先行から仕掛け見事1着で重賞2勝目となった。その後は、中山芝1200mダービー卿チャレンジ(G3)・東京芝1400m京王杯スプリングC(G2)と3着内に絡めずに不安を残す結果で、一番実績のあるマイル戦線へと動き出す。
5月12日(日)春のマイル決戦東京芝1600m安田記念(G1)へ出走。近走の凡走もあり、10番人気と人気を落とした。レースは近走同様先行策に出て好位置をキープし直線で抜け出す。粘り切れるかに思えたが、後方から2番人気ダイイチルビーの追い込みに遭い、2着でG1初制覇とはならなかった。
その後は、中京芝1200mCBC賞(G3)に出走するも不良馬場が合わず5着。2週後には距離延長で中京芝2000m高松宮杯に出走し、番手でのレースから早めの仕掛けで見事1着。中距離での適正も見せる結果となった。秋に入り東京芝1800m毎日王冠(G2)に出走し、久々の逃げの展開から2着と好走。2週後再びマイル戦線に向けて、阪神芝1400mスワンS(G2)へ出走するも距離短縮が響いて9着と惨敗。
11月17日(日)秋のマイル王決定戦京都芝1600mマイルCSへ出走。前走の結果も踏まえ4番人気と人気はあまり伸びず。レースは良いスタートから先団につけると、3コーナー手前から騎手の手綱が動き出した。一気に先頭へと出し直線勝負に出ると、ぐんぐん伸び2番手をさらに突き放し、何度も敗れた1番人気ダイイチルビーの追い込みも寄せ付けず、2馬身以上放しての1着で見事G1初制覇を果たした。
12月22日(日)ファンの期待に応え、グランプリレース中山芝2500m有馬記念へ出走。距離の長さを懸念され、9番人気と人気を落とす。レースは先行策から進めるも、粘り切れずに5着。初の長距離ではあったものの悪くない結果にはなった。勝ったのは、内を割って伸びてきた14番人気ダイユウサクが1番人気メジロマックイーンの差し脚をもろともせずに大穴を開けた。
6歳(1992年)
前年同様に阪神芝1600m読売マイラーズCへ出走すると、先行策から5馬身差をつける圧勝劇で、舞台こそ違うが同レース連覇となった。しかし次走の東京芝1400m京王杯スプリングCでは伸びきれず4着。
5月17日(日)東京芝1600m安田記念(G1)へ満を持して出走。人気はマイルCSの結果で1番人気と高い評価を受けた。レースはスタートから先行策で先団に取り付き3コーナー中間辺りからスパートをかける。一緒にスパートをかけたヤマニンゼファーと直線勝負に出るも、先に抜け出されて残り1ハロンで失速し6着に終わってしまう。抜け出したヤマニンゼファーがそのまま1着で快勝した。
6月14日(日)1ヶ月後には、グランプリレース阪神芝2200m宝塚記念(G1)に出走。2番人気と有馬記念の結果を受けて高評価となったが、レースはメジロパーマーの圧倒劇な逃走劇に遭い5着と敗れてしまう。
夏は休ませ秋の東京芝1800m毎日王冠(G2)で1枠1番で逃げの手に出て、読売マイラーズC(G2)に続き同レース連覇を達成した。
11月1日(日)天皇賞・秋へ出走する。レースは3コーナー中間から先頭に出るが、直線残り2ハロンで後方勢の馬に吸収されてしまい8着と惨敗。後方外から上がってきたレッツゴーターキンが勝利した。
11月22日(日)中距離レース3戦を終えて、連覇のかかった京都芝1600mマイルCS(G1)へ出走。4連勝中のシンコウラブリイに1番人気を明け渡す格好となったが、連覇を期待され2番人気となった。レースはスタート直後4番手を追走し、3コーナーを回り手応え良く先頭に出て直線勝負に入ると、沈まない太陽は直線で輝き続けた。スパートをかけ2番手以降を突き放すと、追い上げも寄せ付けず見事連覇となった。
12月20日(日)約1年半ぶりのスプリントレースに中山芝1200mスプリンターズS(G1)を選択した。1番人気と期待されたが、レースはスタートが良かったものの、速いペースについて行けず。直線では少し伸ばすも4着。直線一気に伸ばしたニシノフラワーが秋のスプリント王に輝いた。
12月27日(日)前走から連闘で中山芝2500m有馬記念(G1)に2年連続出走するが、連闘の影響が響き12着と惨敗に終わる。このレースがダイタクヘリオスにとって現役最後のレースとなった。
種牡馬(1993年~2008年)
引退後は1993年より種付けを開始したが、しばらくはオープンクラス勝利どころか昇格すらも達成できなかった。
しかし、2000年スプリンターズS(G1)でダイタクヤマトがG1を制し、産駒初の重賞初制覇とともにG1初制覇となった。その後もダイタクヤマトはスワンS(G2)・阪急杯(G3)も勝ち、重賞3勝で同年最優秀短距離馬となった。
翌年以降は2002年に牧場を青森県の山内牧場へ移るなどするが、成績は不振。2008年9月種牡馬を引退。
種牡馬引退後は功労馬として余生を過ごすこととなったが、同年12月12日(金)種牡馬を引退して3ヶ月と間もない中、21年の人生に幕を閉じた。
コメント