プロフィール
馬名:メジロパーマー
生年月日:1987年3月21日
馬主:㈲メジロ牧場
生産者:メジロ牧場
調教師:大久保正陽
血統
父:メジロイーグル
母:メジロファンタジー
母父:ゲイメセン
競争成績
通算成績:38戦9勝[9-5-2-22]
獲得賞金:5億2,785万円
主な勝鞍:宝塚記念、有馬記念
ストーリー
3歳(1989年)
メジロパーマーは1987年3月21日に誕生した。
8月12日、函館芝1000mでデビュー戦を迎える。レースは2番手で先頭を追走するが、逃げ馬には歯が立たず6馬身差をつけられる2着と惨敗してしまう。2週後に再び同コースで新馬戦に出走するが、こちらも逃げ馬に逃げ切られ惜しくも2着に敗れてしまう。
9月9日、さらに2週後函館芝1200m未勝利戦に出走する。レースはこれまで逃げ切られたこともあり、自ら逃げる手に出る。後ろから追われる中何とか逃げ切り、見事1番人気に応え初勝利を飾る。またさらに2週後、距離延長で3歳オープン戦函館芝1700mコスモス賞へ出走。レースは2番手で進め4コーナー前から先頭に出る早めの仕掛けを見せると、先行勢の追い込みもクビ差で耐えて見事連勝し3歳重賞制覇も近くに見えた。しかし、その後は3歳オープン戦である京都芝1200m萩S・京都芝1600m京都3歳Sへ出走するが、どちらも1秒以上差をつけられる惨敗に終わった。その後骨折が判明し長期休養に入ることとなった。
4歳(1990年)
休養を経て札幌芝1800mエルムSへ出走するが、先行策から最後の直線は全く伸びずに6頭立ての5着と惨敗してしまう。その後も北海道滞在でダートや芝のオープン戦を中2週空けて走り続けるも全て馬券外と中々良いレースをすることが出来ない。
8月19日、不調の中で函館芝2000m函館記念(G3)で重賞初挑戦を迎えた。レースは最軽量ハンデも生かし今年初めて逃げてペースを保っていく中、4コーナー付近で勝ち馬ラッキーゲランにあっさりかわされその後は粘り切れず7着と惨敗してしまう。その後昨年に続き骨折が判明し、長期休養に入る。この年は1勝どころか、馬券に絡むことすら出来ずに終えてしまう。
5歳(1991年)
復帰初戦は3月の中京芝1200m鈴鹿Sで12着と大敗。その後も京都芝2400m大原Sで3着、続く同舞台で行われた大阪城Sで4着と掲示板には載ってきたが勝利の道はまだ遠かった。
4月28日、京都芝3200m天皇賞・春で飛び級でのG1初挑戦を迎えた。人気は昨年の菊花賞馬メジロマックイーンが圧倒的人気で推される中、飛び級ということもあり人気は全くなく16番人気となった。レースはスタートから押して先頭に立つと、ペースを保ちながら逃げていく。3コーナー過ぎたところから中団馬群が動き出したところでスパートをかけていくが、4コーナー手前で先行勢にあっさりかわされ順位を落としていく。最終的には勝ったメジロマックイーンから2.8秒も差をつけられる13着と大敗してしまう。その後障害への転向も検討されながら例年同様札幌でのレースを走っていくこととなる。札幌での500万下戦で1戦走った2週後再び同クラス同舞台へ出走し2着に1.8秒差つける大差で見事2年ぶりの勝利で勢いをつけた。
6月30日、重賞初制覇を狙い札幌芝2000m札幌記念(G3)へ出走。前走の圧勝もあり格上挑戦ながら4番人気と推された。レースは2番手で進め1コーナーを過ぎたところで先頭に立ち逃げ切りを図ると、最後の直線でも後方勢の怒涛の追い込みも先頭を譲らず見事重賞初か勝利を手にした。しかしその後は函館芝1800m巴賞・函館芝2000m函館記念(G3)・京都芝2400m京都大賞典(G2)へ出走するが大敗続きで、検討されていた障害への転向に進んでいく。
11月2日、京都3000m障害で障害レースデビュー戦を迎える。レースは2番手で先頭を追走し、何と6馬身差をつける圧勝劇で障害レース初勝利をデビュー戦で飾る。続く2戦目は阪神3150m障害へ出走するが、障害飛越の際障害物にぶつかり軽傷を負いながらのレースだったため2着に敗れてしまう。このレースを受け再び平地競争へ転向することとなった。
6歳(1992年)
平地再転向初戦は阪神芝1400mコーラルSへ出走するが、距離の短さもありマイペースを保てず4着と敗れてしまう。1ヶ月後の京都芝3200m天皇賞・春(G1)で2年連続出走するが、昨年同様逃げの手から3コーナー付近で連覇したメジロマックイーンにあっさりかわされ、2.9秒差の7着で大敗してしまう。しかし、続く新潟芝2200m新潟大賞典(G3)では、G1馬や重賞勝利馬が多く名前を連ねる中でのレースで、マイペースの逃げから最後の直線では後続を突き放し0.7秒差をつける快勝で重賞2勝目となった。
6月14日、ファン投票では大きく差をつけられ出走権を獲得出来なかったが、ファン投票上位の注目馬たちがことごとく怪我で出走できず、前走の勝利で推薦馬として出走を認められた阪神芝2200m宝塚記念(G1)へ出走。G1勝利こそないものの実績のあるカミノクレッセが1番人気に昨年マイルCSの制したダイタクヘリオスが2番人気と続き、前走の圧勝劇がありながらもG1実績がないため9番人気となった。レースは逃げ馬が多い中で好スタートから先頭に立つと、マイペースで逃げていく。3コーナーから徐々にペースを上げ後ろをどんどん離していくと、最後の直線でも唯一そのペースアップについてきたカミノクレッセが追い込んでくる。しかし中々差は縮まらず3馬身差で快勝し、見事人馬共にG1初制覇となった。夏の休養を経て、京都芝2400m京都大賞典(G2)へ出走するが、休み明けが影響したのと厳重なマークにあったため9着と惨敗してしまう。その後も東京芝2000m天皇賞・秋(G1)ではハイペースの逃げを演じるが、最後の直線で一気に失速し17着と大敗してしまう。
12月27日、またしても宝塚記念を勝ち馬ということもあり、グランプリレースの推薦馬として中山芝2500m有馬記念(G1)へ出走。宝塚記念の時よりもファン投票上位の出走馬が多く人気も上位馬に集中した。人気はファン投票1位のジャパンC制覇馬トウカイテイオーらが上位人気で、15番人気と近走成績を考慮される結果となった。レースは近走同様に逃げの手に出てマイペースで進んでいくと、2コーナーから向こう正面で2番手を走るダイタクヘリオスと共に後方を離していく。3コーナー手前で引っかかったダイタクヘリオスに先頭を譲るもマイペースを保ち、4コーナー手前でかわし再び先頭に立つと最後の直線へ。2番手ダイタクヘリオスが一気に失速する中、二の脚を使い逃げ粘りを図る。後方勢3頭が一気に追い込んで中、内からレガシーワールドが凄まじい末脚で追い込んで最後は2頭並びかけたところで入線し写真判定となった。判定の結果はクビの上げ下げでハナ差を制しており、G1 2勝目となり史上5頭目となる同年での春秋グランプリ制覇と歴史を塗り替えた。年末の表彰式では、年度代表馬とまではならなかったものの最優秀父内国産馬・最優秀5歳以上牡馬のダブル受賞となった。
7、8歳(1993~1994年)
G1 2勝目から3ヶ月後の阪神芝3000m阪神大賞典(G2)で出走し、大逃げの手を打ち最後の直線で人気どころだったナイスネイチャが追い込みに遭い先頭を譲るが、得意の二の脚を発揮させ差し返して後方から追い込んできたタケノベルベットも退けて見事重賞5勝目となった。
4月25日、G1 3勝目を狙い3年連続の京都芝3200m天皇賞・春へ出走。人気は3連覇をかけたメジロマックイーンが圧倒的1番人気となり、メジロパーマーは4番人気となった。レースはスタートから押して大逃げの展開を作ると、単騎でマイペースを保つ。3コーナーから後ろを走っていたメジロマックイーンとライスシャワーが少しづつ進出を開始して最後の直線に入ると、2頭に早くもかわされ先頭を譲るが二の脚を使い食い下がる。しかし、外からライスシャワーが抜け出し先頭に立つと最後は2馬身以上離す快勝劇で、粘りはしたものの共に追い込んできたメジロマックイーンに次ぐ3着と惜敗してしまう。その後は連覇をかけた宝塚記念や有馬記念を含む5レースに出走するが、どれも着差が大きくある敗戦でこの年を終えた。翌年、阪神芝2500m日経新春杯(G2)へ出走し、斤量60.5kgのトップハンデを背負いながらも2着と健闘しまだまだ走ることを証明したに見えたが、レース後に右前脚屈腱炎を発症してしまう。長期休養を行うが、完治せず年齢も考慮され引退する決意を固めた。
種牡馬(1995年~2002年)
引退後はアロースタッドで繁養され、種牡馬としての活躍を狙った。産駒初年度から4年間は多くの馬を輩出した。1999年にレールデュタンとの仔メジロオーキッドが産駒初勝利するが、その後はハッピーデルマーとの仔デルマポラリスが2勝し、2002年にメジロハリアーとの仔メジロライデンが京都ハイジャンプ(J.G2)を制し唯一の産駒初重賞制覇となった。
それ以降は目立つ活躍がなく、同年に種牡馬を引退することとなった。そして、レイクヴィラファームで功労馬として余生を過ごしていたが、2012年4月7日に心臓麻痺のため25歳の人生に幕を閉じた。
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