プロフィール
馬名:シンコウラブリイ
生年月日:1989年2月2日
馬主: 安田修
生産者:B.R and Mrs Firestone
調教師:藤沢和雄
血統
父:Caerleon(ジョッケクルブ賞(フランスダービー)、ベンソン&ヘッジス金杯)
母:ハッピートレイルズ
母父:ポッセ
競争成績
通算成績:15戦10勝[10-2-2-1]
獲得賞金:5億2790万円
主な勝鞍:マイルCS
ストーリー
3歳(1991年)
シンコウラブリイは1989年2月2日、アイルランドで誕生した。
馬体は牡馬に負けず劣らずで発達も早くスプリント・マイル戦線での活躍を期待された。
11月2日、東京競馬場での1600m戦でデビューとなった。結果は先行策から最後の直線で抜け出すと、4馬身もの差をつける快勝劇となり初戦での初勝利を飾った。さらに2戦目となった福島芝1200mオープンクラスでのレースではデビュー戦同様に先行力を生かし追わずにレコードタイムを更新し、2連勝となった。
12月1日、デビューしてまだ1か月と間もないが2連勝とレース内容が買われ阪神芝1600m阪神3歳S(G1)で初重賞初G1レース出走となる。絶賛3連勝であったニシノフラワーが1倍台の1番人気となり、それに次いでの2番人気となった。レースは外枠での発走だったということもあり過去2走とは少し違う形で中団からの競馬となった。良いリズムで途中まで走れていたが、3コーナー途中で進路が無くなってしまう。最後の直線では素晴らしい追い上げを見せたものの、結果的にはそれが響き3着とG1初レースでの勝利とはならなかった。
4歳(1992年)
当時の4歳G1桜花賞、優駿牝馬(オークス)では外国産馬の出走が出来なかったというのもあり、5ヶ月もの長期休養を経て東京芝1600mカーネーションCで復帰。結果は直前の怪我も影響し6着に敗れてしまう。
6月7日、怪我は軽傷であったため完治が早く、東京芝1600mNZT4歳S(G2)に出走。重賞勝利馬が揃う中4番人気なった。レースはスプリント力のあるサクラバクシンオーが逃げる中、持ち味の先行力を生かし2番手からレースを進める。最後の直線の抜け出しで逃げるサクラバクシンオーをあっさりかわすと、有力馬の追い込みも及ばず見事快勝し重賞初制覇。続く福島芝1800mラジオたんぱ賞(G3)、3か月の休養後中山芝2000mクイーン賞(G3)での中距離重賞もあっさり勝利し重賞初勝利から3連勝となった。その後、ジャパンカップを目標に東京芝1800m富士Sを調整レースとして走らせた。レースは圧倒的な人気に応え圧勝した。
11月22日、富士Sの結果を受けやはりマイル戦での適性があると見極め急遽、異例の連闘で阪神芝1600mマイルCS(G1)へ挑むことに。人気は3連勝中ということもあり、連闘ながら昨年覇者ダイタクヘリオスを抑えての1番人気となった。レースはスタート直後前の取り合いとなり中団となるが、道中4,5番手につける。4コーナー手前から抜け出したダイタクヘリオスを追うが、中々差を縮められず2着と敗れる。G1初制覇の夢は次年以降に託すこととなった。
5歳(1993年)
連闘の疲れも考慮され長期間の休養の後、東京芝1400m京王杯SC(G2)で始動した。前年度安田記念を制したヤマニンゼファーを差し置いての1番人気となり、レースは最後の直線勝負でヤマニンゼファーに差され敗れてしまう。
5月16日、G1初制覇を懸けて東京芝1600m安田記念に出走。マイラーズC(G2)を快勝したニシノフラワー、連覇を懸けるヤマニンゼファーに続く3番人気となった。レースは好スタートから先行につけると、逃げ馬を壁に出所を伺う。しかし、外のヤマニンゼファーに交わされると、内ラチ沿いを追走するも追い込む力は残っていなく3着と敗れまたもG1を落としてしまう。その後は、休養前の調整で札幌芝1800m札幌日経OPで勝ち休養を取ることとなる。休養を経て東京芝1800m毎日王冠(G2)をレコードタイムで勝利し、続く京都芝1400mスワンS(G2)では初の重馬場でも追い込み勢を退けて3連勝を飾る。
11月21日、前年惜しくも敗れた京都芝1600mマイルCS(G1)に再び出走。そしてシンコウラブリイにとってはこのレースがラストレースとなった。前走重馬場でのレースを勝っていることと実績が上位なことから1番人気に押される。レースは馬なりで先行勢につけると、不良馬場ということもありうまく外側を追走。3コーナーから4コーナーにかけて少しづつペースを上げ最後の直線で抜け出すと、後方勢は不良馬場やペースを欠く中どんどん突き放す。前残りの展開ではあったものの念願のG1初制覇となり、有終の美を飾った。年末にはJRA最優秀5歳以上牝馬に選出され、繁殖牝馬として第2の人生へと進む。
繁殖牝馬(1995年~2011年)
マイルCSから5日後、大樹ファームへ移動。2年後の1995年より繁殖された。初年度はトニービンとの仔ロードクロノスを生産し、初年度ながらも中京記念(G3)を制するなど8勝を飾る活躍で繁殖牝馬としての期待も集まった。しかし、その後はシンコーファームに移り繁殖するが、オープンクラスを勝ったのは1998年に生産されたブライアンズタイムとの仔トレジャーのみで、2011年ディープスカイとの仔を産み繁殖を引退する。その後は余生を送っていたが、蹄葉炎の再発によって同年12月5日に22年の人生に幕を閉じた。
また、2002年に生産されたピサノグリフの仔ムイトオブリガードがアルゼンチン共和国杯(G2)で勝利するなど、孫の代まで活躍を伸ばしている。
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