プロフィール
馬名:オフサイドトラップ
生年月日:1991年4月21日
馬主: 渡邊隆
生産者:村本牧場
調教師:加藤修甫
血統
父:トニービン(凱旋門賞)
母:トウコウキャロル
母父:ホスピタリティ
競走成績
通算成績:28戦7勝[7-8-5-8]
獲得賞金:4億3543万円
主な勝鞍:天皇賞・秋
ストーリー
3歳(1993年)
オフサイドトラップは1991年4月21日、村本牧場で誕生する。後に父トニービンの2年目生産馬では唯一となるG1馬となる。幼い頃から馬体の良さを注目されており、早いG1制覇を期待されていた。
12月11日、中山競馬場での芝1600m戦でデビューとなった。レースは逃げ馬が早々と失速する中、中団から進め最後の直線では3番手で追走するが1/2馬身差で惜しくも2着となってしまう。この時代はデビュー1か月以内であれば何回でもデビュー戦を走れることができ、2週後に中山芝2000mデビュー戦に出走するが逃げ馬のマイペースにやられこちらも2着となってしまう。
4歳(1994年)
1月16日、2戦目から2週後初のダート戦となる中山ダート1800m未勝利戦で逃げからの展開で、初勝利を飾る。その後は芝に替わり、東京芝1800mセントポーリア賞・皐月賞の前哨戦である中山芝2000m若葉Sを道中それぞれ違う展開で走ったが、見事勝ち3連勝となり皐月賞への優先出走権を得ることとなった。
4月17日、優先出走権を得た中山芝2000m皐月賞(G1)で重賞そしてG1初出走となった。人気はG1を含め絶賛4連勝中のナリタブライアンが圧倒的な支持の1番人気、前哨戦弥生賞(G2)で連対したエアチャリオット・サクラエイコウオーが次いでの人気となった。レースは中団外を追走する展開となり、1000m通過後からペースを上げ始めるが中々前との差を縮められず最後の直線へ。追う力は残っておらず7着と惨敗してしまい、レベルの違いを見せつけられてしまう。勝ったのは4コーナー手前で詰まった場面を見せるも関係なく突き抜けた、後にこの年のクラシック三冠そして年度代表馬にもなるナリタブライアンが圧倒的な人気に応えた。続くクラシック東京芝2400m東京優駿(G1)にも出走するが、こちらも8着と惨敗。夏に入り、福島芝1800mラジオたんぱ賞(G3)で重賞初勝利を狙うが、ペース配分がうまくいかず4着となってしまう。その後、屈腱炎を発症してしまい療養することになった。12月の中山芝2000mディセンバーSで復帰するが、で1番人気に応えることが出来ず3着となる。
5歳(1995年)
1月5日、復帰後2戦目は中山芝2000mの金杯(G3)に出走する。前走に引き続き1番人気に推されるが、後にグランプリホースにもなる2番人気サクラローレルに大差の8着と重賞の壁を中々越えられない。中1ヶ月を空け東京芝1800mバレンタインSに出走し、こちらは少頭数のレースということもあり見事勝利し約11ヶ月振りの勝利となった。しかしその勝利も束の間、2度目の屈腱炎を発症してしまいまたも療養することとなった。昨年同様復帰レースとなった12月の中山芝2000mディセンバーSで2年連続の3着となり、怪我の状態も考慮され長期療養に入ることとなった。
6歳(1996年)
11月10日、怪我の状況も良化し東京芝1800m富士Sで復帰を果たす。4番人気になり人気3頭に追いすがるも人気通りの4着となる。続く3年連続となる中山芝2000mディセンバーSでも人気通りの2着となり、6歳での1年は1勝も出来なかったが怪我の状態はかなり良化していた。
7歳(1997年)
1月19日、この年初戦は中山芝2200mAJCC(G2)へ出走する。重賞馬や連勝馬がいる中先行策でレースを進め、勝ち馬に0.2秒差の4着に敗れる。その後は東京芝1600m東京新聞杯・中山芝1800m中山記念・中山芝1600mダービー卿チャレンジと果敢に重賞に挑戦するが、着差すらないもののあと一歩のところで壁を越えられない。京都芝1600m都大路Sを挟み再び重賞レースである東京芝1800mエプソムC(G3)へ出走するが、追い込み切れず6着。そして3度目の屈腱炎を発症してしまう。年齢も考え引退も検討されるが、現役続行の道を選択し療養に入ることとなった。
8歳(1998年)
3月22日、中山芝1600m東風Sで復帰戦を迎えるが惜しくも2着。中山芝1800m韓国馬事会杯2着・新潟芝2000m新潟大賞典(G3)2着・2年連続出走の東京芝1800mエプソムC(G3)3着と、馬券内に絡む好走は見せるが勝ちには中々手が届かない。
7月11日、長年主戦騎手であった安田騎手から蛯名騎手へ乗り替わり福島芝2000m七夕賞(G3)へ出走する。前走より先行策から後方での競馬をしており、このレースも後方待機から逃げ馬をハナ差で捉え3年以上離れていた勝利を重賞初制覇で飾った。さらに1ヶ月半後の新潟芝2000m新潟記念(G3)では1番人気に応える見事な追い込みで重賞2連勝を飾る。
11月1日、東京芝2000m天皇賞秋(G1)で東京優駿以来のG1レース出走を迎えた。人気はこの年の宝塚記念を含む6連勝中のサイレンススズカが単勝1.2倍と圧倒的人気を誇った。人気はサイレンススズカに次いでこの年の天皇賞春制覇のメジロブライト、前年有馬記念制覇のシルクジャスティスが続いた。オフサイドトラップは6番人気になるが、単勝40倍台と大きく人気は離れた。鞍上はともに連勝を果たした蛯名騎手から柴田騎手がテン乗りすることとなった。レースは圧倒的人気サイレンススズカが2番手に10馬身以上離す大逃げ策となったが、3コーナーで故障により大失速し競争を中止する大波乱。場内がざわめく中、3番手でレースを進めたオフサイドトラップは最後の直線で抜け出すと、外から内に進路を変え追い込んでくるステイゴールドを1馬身差ほど退け見事G1初制覇を果たす。8歳馬のG1制覇は28年振りとなった。その後はファンの後押しもあり、年末の中山芝2500m有馬記念(G1)へ出走するも10着と完敗し引退することとなった。
種牡馬(1999年~2003年)
引退後の次年度から早速種牡馬としての供用を開始する。しかし2000年の生産馬リュウハヤテの2勝が最高成績で、その2勝を含み3勝のみと種牡馬としての活躍はなく2003年に種牡馬を引退した。
その後は乗馬になるなど人間を愛し愛される立場へと変わる。功労馬として余生を過ごしていたが、2011年8月29日腸障害のため20年の人生に幕を閉じた。
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