プロフィール
馬名:マイネルマックス
生年月日:1994年4月13日
馬主:サラブレッドクラブ・ラフィアン
生産者:サンコウ牧場
調教師:中村均
血統
父:ブライアンズタイム(フロリダダービー、ペガサスH)
母:サクセスウーマン
母父:ハイセイコー(皐月賞)
競走成績
通算成績:40戦6勝[6-2-3-29]
獲得賞金:2億7,279万円
主な勝鞍:朝日杯3歳S
ストーリー
3歳(1996年)
マイネルマックスは1994年4月13日に誕生した。父であるブライアンズタイムは産駒初年度1991年からG1馬を輩出しており、当時はかなり注目をされていた。
8月3日、函館芝1000m戦でのデビュー戦を迎えた。圧倒的人気に推されるがレースは最後方からの競馬が響き3着と敗れてしまう。続く2戦目は函館芝1200mの新馬戦へ出走。前走の反省を生かし先行策で進め、最後の直線で一気に後続を突き放し4馬身差と差をつけ見事初勝利となった。
9月21日、初勝利から1か月後早くも初めての重賞レースとなる。初勝利の舞台と同じ函館芝1200m函館3歳S(G3)へ出走。人気は2連勝馬マチカネエデンが圧倒的1番人気となる中、3番人気となった。レースはマチカネエデンが軽快に逃げる中、3番手からレースを進めると最後の直線で逃げるマチカネエデンをゴールライン手前で捉え重賞初勝利となった。さらに勢いに乗り東京芝1400m京成杯3歳S(G2)へ出走。距離と馬場の適性の不安視もあり、4番人気となった。レースは先行策で進めて、最後の直線で前を走る人気馬たちを一気に追い抜き重賞連勝を含む3連勝となった。
12月8日、3連勝で迎えいよいよ阪神芝1600m朝日杯3歳S(G1)でG1初挑戦となった。人気は当時「ノーザンテースト最後の大物」と注目を浴びていた2連勝中のクリスザブレイヴに次ぐ2番人気となった。レースはアサカホマレが超ハイペースで逃げる中、ペースを読んだか後方内ラチ沿いで溜めると3コーナーから馬群の真ん中をスルスル4番手まで上がっていき最後の直線勝負へ。3番手から抜け出したオープニングテーマを必死に追っていくと、重賞初勝利の時と同様にゴールライン手前で交わし見事4連勝を飾りG1初制覇となった。鞍上の佐藤哲三騎手と馬主にとってもG1初制覇となり、この年の最優秀3歳牡馬に輝いた。こうして素晴らしいスタートダッシュを決め、クラシック戦線への注目も浴びるが…
4歳(1997年)
5月11日、クラシック初戦皐月賞へ向けてスプリングSでの始動する予定だったが、熱発のため皐月賞も含め回避し、東京芝1600mNHKマイルC(G1)に出走。昨年の3歳王者ということもあり3番人気に推された。レースは後方外目を追走する展開となり、4コーナーから最後の直線で外に膨らみ加減で前を追っていく。しかし、昨年のような末脚は発揮できずに勝ったシーキングザパールに1.1秒差の13着と大敗を喫してしまう。その後はクラシック2戦目の東京芝2400m東京優駿(G1)に出走するが、懸念された距離適性が的中し先行策の競馬をするも逃げて勝ったサニーブライアンに突き放され最終的には15着と2戦連続で大敗してしまい、夏の休養に入ることとなった。
11月16日、復帰初戦の京都芝1400mスワンS(G2)に出走し8着と敗れた後2度目のG1挑戦となる京都芝1600mマイルCS(G1)へ出走する。人気は大敗続きのため13番人気と落ち着いた。レースは後方内ラチ沿いで溜め、逃げるキョウエイマーチを追っていく展開となる。逃げるキョウエイマーチが快調に逃げる中、4コーナーまで伸びてこれず最後の直線勝負へ。先行した重賞2連勝中のタイキシャトルが逃げ粘るキョウエイマーチを残り1ハロンで捉え圧巻の走りを見せつける中、直線勝負でも内ラチ沿いを伸びきれずに追走し6着と敗れてしまう。その後は年末の中山芝2500m有馬記念(G1)に出走するも、勝ったシルクジャスティスから8.4秒も離される15着と結果は惨敗に終わってしまう。この年はG1に積極艇に挑戦したが、未勝利且つ全て掲示板を外すこととなった。
5歳(1998年)
2月8日、東京芝1600m東京新聞杯(G3)で始動することとなった。最内枠から先行策でレースを進めるが、最後の直線では伸びきれずに5着と敗れてしまう。1ヶ月後阪神芝1600m読売マイラーズC(G2)に出走し、0.2秒差に7頭が大接戦を演じるが6着と惜敗。その後は中山芝1600mダービー卿チャレンジ(G3)で7着、新潟芝2000m新潟大賞典(G3)で7着、東京芝1800mエプソムC(G3)で12着と重賞に果敢に出走するが、いずれも大敗続きとなってしまい夏の休養へ入ることとなった。5ヶ月以上の休養後も東京芝1400m富士S(G3)へ出走するが、当時伸び盛りであったエアジハードに0.6秒差の7着に敗れ、重賞からランクを下げオープンクラスへ出走することとなる。中1週後の阪神芝1600mポートアイランドSで2着、また中1週後の中山芝1600mクリスマスSで4着と掲示板にはようやく絡めたが、この年も未勝利と2年間勝利から遠ざかることとなった。
6歳(1999年)
前走から中1週後の中山芝1600mニューイヤーSで3着に入るも着差がかなりあり惨敗に等しい結果となった。さらに中2週後に2年連続で東京芝1600m東京新聞杯(G3)に出走するが、勝ったキングヘイローに1.7秒差の8着と昨年以上に大敗してしまう。3ヶ月後の中京芝1200m高松宮記念(G1)に出走予定だったが、競走直前に怪我による出走取消となり長期休養に入ってしまう。休養明けも阪神芝1400mセントウルS(G2)で4着、中3週後の京都芝1400mスワンS(G2)で9着、1ヶ月後の小倉芝1200mCBC賞(G2)で13着と徐々に着順を落としていき昨年同様にオープンクラスへ出走することとなった。中1週後のポートアイランドSで2年連続の2着から中山芝1600mクリスマスSで先行策から見事抜け出し1着となり、約3年ぶりの勝利をこの年最後に飾ることになった。
7歳(2000年)
2年連続で中山芝1600mニューイヤーSで始動したが、12着と大敗。さらに3年連続の東京芝1600m東京新聞杯(G3)では13着で過去2年よりも着順を落とす結果となり、1ヶ月後の阪神芝1200m阪急杯(G3)でも6着と敗れてしまう。さらに1ヶ月後昨年直前の出走取消で走れなかった中京芝1200m高松宮記念(G1)に出走すると、後方待機から最後の直線で見事な追い込み劇を見せるが、外から一気に追い抜いたキングヘイローに0.3秒差の7着と敗れてしまう。
4月15日、再び舞台をマイル戦に戻し阪神芝1600m読売マイラーズC(G2)に出走。重賞では掲示板を外し続けてるのもあり、8番人気と落ち着いた。レースはこのレースがラストレースのキョウエイマーチがハイペースで逃げる中、中団で様子を伺いながら追走する。G1初制覇となった時と同様に3コーナーからペースアップを計り最後の直線勝負へ進むと、前をあっさり捉え追い込み勢をもろともせず見事4年ぶりの重賞制覇となった。その後は函館芝1200m函館SS(G3)、中山芝1600m京成杯OH(G3)へ出走するがどちらも惨敗する結果となってしまう。そして中山芝1200mスプリンターズS(G1)に初挑戦するも、ペースについていけず9着と敗れてしまう。
11月19日、中2週後の京都芝1400mスワンS(G2)で3着と好成績を収めた後、3年ぶりの京都芝1600mマイルCS(G1)へ出走。11番人気と人気は落としたが、レースは中団馬群の後ろにつけじっくり溜める展開となった。ゆったりとした流れでレースは進むと最後の直線勝負へ。逃げるヤマカツスズランを早くも捉えたダイタクリーヴァの後ろを追走するが、途中で失速してしまい6着と敗れてしまう。勝ったのは外から一気に追い込みを見せ芝では初勝利となった13番人気のアグネスデジタルがG1初制覇した。その後連闘で初ダートとなる笠松ダート1400m全日本サラブレッドCに出走するが4着と惜敗した。
8歳(2001年)
連覇を狙い阪神芝1600m読売マイラーズC(G2)に出走するが、12着と惨敗し1ヶ月後の京都芝1600m都大路Sでは9着、そして阪神ダート1400mプロキオンS(G3)では、12着と大敗し現役を引退することとなった。
種牡馬(2002年~2007年)
引退後は早速種牡馬となるが、2007年に生産されたヤマニンシャスールが4勝したのみで中央競馬での種牡馬としては活躍出来なかった。2007年に引退した後は功労馬として繁養されていたが、2008年8月25日肝硬変のため14年の人生に幕を閉じた。
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