プロフィール
馬名:マックスビューティ
生年月日:1984年5月3日
馬主:田所祐
生産者:酒井牧場
調教師:伊藤雄二
血統
父:ブレイヴェストローマン
母:フジタカレディ
母父:バーバー
競走成績
通算成績:19戦10勝[10-2-1-6]
獲得賞金:3億3190万円
主な勝鞍:桜花賞、優駿牝馬
ストーリー
3歳(1986年)
マックスビューティは1984年5月3日、酒井牧場で誕生した。
8月3日、7月13日の函館ダート1000m戦でデビュー予定であったが、左前脚蹄球炎を発症し出走を取り消し函館芝1200m戦でデビューを飾った。1番人気と推された中でレースはハナを取ると最後は4馬身離す快勝劇で見事デビュー戦での初勝利を飾った。その後は3歳重賞に果敢に挑戦することになる。約1ヶ月後の函館3歳S(G3)では先行策でレースを進めるも大きく着差がある4着と敗れてしまうと、約2ヶ月の休養を経てラジオたんぱ杯3歳牝馬S(G3)へ出走するが、前走同様に先行策で進め途中まで先頭に立つと、ドウカンジョーの鋭い末脚に歯が立たずあっさりかわされ2着と重賞初制覇を逃してしまう。
4歳(1987年)
4歳初戦は京都芝1200m紅梅賞へ出走。レースは後方からの競馬となるが、上がり3ハロン最速となる末脚で見事2勝目を飾った。続く京都芝1400mバイオレットSでは先行策から他を寄せ付けず5馬身差の圧勝劇となり見事2連勝を飾った。さらには桜花賞トライアルレースの阪神芝1600mチューリップ賞へ出走し、先行策から早めに先頭へ抜け出すと田原騎手が追い出すことなく快勝して見事3連勝を飾った。
4月12日、3連勝と勢いに乗り阪神芝1600m桜花賞(G1)でG1初出走となった。3連勝とレース内容を評価され1番人気と推された。レースは好スタートから中団前めのポジションに取りつくと、3コーナーを過ぎから一気に押し上げ先頭の背中を捉える。最後の直線では残り2ハロンで先頭をかわし後続を一気に離していくと、8馬身差をつける圧勝劇でG1初出走で見事G1初制覇となった。その後牝馬3冠2戦目となる優駿牝馬(オークス)へ向けてサンスポ4歳牝馬特別(G2)へ出走し、先行策から逃げるクリロータリーを捉えて破竹の5連勝を飾り2冠目へ向け仕上がり良好となった。
5月24日、牝馬3冠レース2冠目へ東京芝2400m優駿牝馬(G1)へ出走。人気は5連勝していることや桜花賞馬ということもあり単勝1.8倍の1番人気となった。レースは24頭立ての中で中団前めの外側をじっくり先頭集団を見ながら追走すると、3コーナーを過ぎスパートをかけていく。4コーナー付近で先頭を一気に捉えにかかると、残り1ハロンを過ぎた辺りで先頭を捉え後続を離し見事牝馬クラシック2冠目を6連勝で飾った。そして夏の休養を経て阪神芝2000m神戸新聞杯(G2)では、東京優駿(日本ダービー)の好走馬たちを引き寄せず見事1着で7連勝を飾った。さらに京都芝2000mローズS(G2)では、最後は迫られながらもチューリップ賞同様にほとんど追うことなく見事8連勝を飾り牝馬3冠へ弾みをつけた。
11月15日、牝馬3冠へ京都芝2400mエリザベス女王杯(G1)へ出走。3冠を期待され単勝1.2倍の1番人気となる。レースは中団外を追走する形で進んでいくと、3コーナー過ぎで少しづつ先頭に差を詰めていく。4コーナーでは先頭とほとんど並んだ状態で最後の直線へ進むと、早くも先頭に立ち後続を突き放しにかかる。しかし、唯一追い込んできたタレンティドガールが鋭い末脚で追い込み残り100m辺りでかわされてしまい3冠を目前にして2着と敗れてしまう。年末には有馬記念のファン投票2位で中山芝2500m有馬記念(G1)へ出走するが、見せ場なく10着と大敗してしまう。しかし、牝馬2冠を評価され最優秀4歳牝馬に選出された。
5歳(1988年)
5歳初戦は阪神芝1600mマイラーズC(G2)へ出走し3着と惜敗するが、その後は阪神芝2000m大阪杯(G2)・函館芝2000m函館記念(G3)・新潟芝2200mオールカマー(G2)へ出走するが、どれも着差のある大敗で昨年のような活躍が影を潜めた。その後は京都芝1200mオパールSで約1年ぶりの勝利を飾るが、京都芝1400mスワンS(G2)では9着と大敗したのを最後に競走馬としての人生を終えることとなった。
繫養牝馬(1989~2002年)
引退後は故郷酒井牧場で繁養牝馬となる。初仔となった父リトルシャダイとの仔マックスジョリーが重賞制覇こそなかったものの牝馬三冠の桜花賞・優駿牝馬(オークス)で3着と好走を演じ、今後の仔も期待された。その後も1993年産の父ダンシングブレーヴとの仔チョウカイライジンがオープンクラスの勝利を含む8勝を挙げる活躍を見せるが、重賞勝利とまではいかなかった。そして2001年出産後に蹄葉炎を発症してしまい療養するが、病状の回復が見えず2002年2月27日に18年の人生に幕を閉じた。その後は2014年孫であるココロノアイが重賞勝利となるなど、今もこの血筋は繋がり続けている。
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